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2024/06/17

飛騨市民カレッジ・シニア学部「外国人にも日本人にも『やさしい日本語』」


6月15日(土)に、飛騨市民カレッジ・シニア学部の講座でお話をさせていただきました。
テーマは「外国人にも日本人にも『やさしい日本語』」です。


初めての試みで、楽しんでいただけるか、「やさしい日本語」を"やさしくない日本語"で説明していないかなど、いろいろ不安でしたが、参加者の皆さんが明るく積極的な方ばかりだったので助けられました。

わたしにとっても大変良い経験となりました!



2024/03/12

(input)2月はシンポジウム等に参加してきました


先月2月10日(土)に、多文化共生シンポジウム「多文化共生をめぐる包摂と排除の理論 外国籍の子どもの就学義務化を求めて」へ、

2月23日(金)・24日(土)には、「市民の参加と協働を進める多様なコーディネーション実践研究集会」へ、参加してきました。

多文化共生に関する情報のインプットです。登壇者ではなく、ただの一般参加者です。



●多文化共生シンポジウム「多文化共生をめぐる包摂と排除の理論 外国籍の子どもの就学義務化を求めて」


日時:2024年2月10日(土)14:30~17:30
場所:東京外国語大学
主催:国際ボランティア学会第25回大会実行委員会、東京外国語大学多言語多文化共生センター


「『多文化共生』という言葉は何を意味したのか。30年近くも使われてきて、いったい何を達成したのか。」という概要文に関心を抱き、現地参加に踏み切りました。

感想としては、良かった点と不満だった点がそれぞれあります。


まず不満だった点は、結局、多文化共生の30年は何だったのかが分からなかったこと。

概要文の続きには「子どもたちの『教育への権利』の保障という視点から」と書いてあったので、その切り口で話されることは覚悟していましたが、それでも、

・わたしたちはこの30年がんばってきたんです!!という感情的な努力アピールに終始していたこと
・一人の登壇者が自民党批判や政府批判をするばかりで、自身は何をやったのか、何をやりたいのかが見えなかったこと

この二点から、結局この会の問いに対する答えが明確ではなく、論点もよく分からなかったことが残念に思います。

最後の質疑応答のコーナーで他の参加者の方が、「結局30年は何だったのですか?今ここで話されていることは自分が20年前に学生時代だった時に聞いていた話(課題)と大差ないように思うのですが…」と言ってくれたので、その答えが返ってくることに期待していたのですが、その回答もぼんやりしていました。


一方、良かった点は、二点。

オンラインではない対面のライブ感が自分にとってはとても刺激になったこと。
(イベントの設計も参加者同士が交流できる仕掛けを作ってくれたので、隣近所の見知らぬ人と話すきっかけができた。)

東京に住んでいた時は簡単に参加できたこういう会も、今となってはわざわざ時間とお金をかけて出向いていくことになるので、機会を無駄にしないようにしようという意識が働くこと。
(これは完全に個人的な理由ですが。笑)


結果、刺激を受けてモチベーションはなんかUPしたんだけど、何を得たんだろう?という感覚が残りました。。


あ、ずっと気になっていた映画「ファミリア」を見るに至るきっかけにはなりました。

そしてシンポジウム当日の様子は記事になっていました。

▼朝日新聞デジタル「外国人との共生、シンポで議論白熱 教育機会の保障や労働めぐり」



●市民の参加と協働を進める多様なコーディネーション実践研究集会


日時:2024年2月23日(金)10:30〜19:00、24日(土)9:30~15:30
場所:オンライン(リアル会場:東京ボランティア・市民活動センター)
主催:認定特定非営利活動法人 日本ボランティアコーディネーター協会(JVCA)


こちらは、「市民の参加と協働」というキーワードに惹かれて参加することにしました。現地参加する交通費よりは安く済みますが、参加費7,700円も払ったので、無駄にはできません…!笑



○オープニングセッション 「共生社会」をめざすうえで自覚しておきたいこと マジョリティの側が陥りやすい「多様性」の落とし穴


オープニングセッションでは3名の登壇者とコーディネーター1名が「マジョリティの特権」について話していました。登壇者の一人である上智大学外国語学部の出口真紀子教授は、このテーマを特に専門としていらっしゃる方で、他のメディアでも発信されています。

▼NHK「あなたは優位な立場かもしれない 気づきにくい“特権”とは」

▼JALT2021 Makiko Deguchi Plenary: What is Japanese Privilege? Privilege Construct in Japanese Context
↑こちらは英語の動画ですが、今回のオープニングセッションで話されていたこととほぼ同じです。


内容としては、以下のようなものです。

・マジョリティ(多数派)は自分が持っている特権に気づかない
・マジョリティ側が当たり前のようにできることを、マイノリティ側(少数派)は同じようにすることができない
・それをマジョリティ側は、マイノリティ側の努力不足とみなすが、実際は努力の問題ではなく環境の問題である
・マイノリティ側がその状況を打破しようと声を上げると、マジョリティ側は「またマイノリティの奴らが文句を言っている」と煙たがる
・一方で、マイノリティ側の人たちというものは弱々しくて可哀想、助けてあげなければいけない存在、という「マイノリティ像」を捨てないといけない(不公平な状況にある中で、マイノリティ側はしたたかに生きていく必要がある)
・マイノリティ側がしたたかであろうがなかろうが、マジョリティとマイノリティという構造と環境は変わっていない



例えば、これは、わたしがイギリス留学していた時の話です。

・学校帰りや休みの日にただ道を歩いていたら、「ニイハオ!」といきなり声をかけられる(挨拶をしてくれているんじゃなくて、からかわれている)、中国人を侮辱する差別用語を投げかけられる、卑猥な言葉を言われる。

・スーパーのレジで受け取ったお釣りの金額が違う気がして、少ないと思うんだけど…と言っても「ちゃんと渡したわよ!」と確認もしないで言い放たれる。

・IELTSという英語の試験の返金手続きをしていて、きちんと振り込まれていないので何度も問い合わせをしても「振り込みました」と言われるだけで記録を確認してもらえず、最終的に返金額を受け取るのに半年も闘った。

こういうことは、わたしがイギリスで外国人という立場でなければ、もう少しまともに取り合ってもらえただろうし、アジア人という見た目でなければ(あと女性でなければ)言われなかったであろう言葉たちです。

マジョリティ(イギリス人・白人・男性・英語話者)は、マイノリティ(外国人・アジア人・女性・英語は第二言語)が体験することをどこまで理解できるでしょうか?(けなしているのではありません、問いかけています)

これらは、わたしの努力不足が問題でしたでしょうか?

わたしが正式に返金を受けるために声を上げ続けたことは、マイノリティのわがままでしたでしょうか?


そしてこういうことは、日本人が圧倒的マジョリティとなる日本国内で、同じようなことが外国の方に対して起きていないでしょうか?


人種だけではなく、性別や性的志向や性自認、学歴や社会階級、身体・精神状態、居住地域など様々な項目があり、一人の人間でも項目によってマジョリティかマイノリティかは変わります。

このテーマは非常に重要なテーマであり、いろんな人と一緒に考えたいことだと思いました。



○分科会A6 違いや多様性は“混ざる”からこそ意味がある 「つなぐ人」がいることで何がどのように変化するのか


1日目はこちらの分科会に参加しました。
内容はかなりざっくり言うと、登壇者それぞれがどんな風に他の組織と協働して物事を成してきたかというお話でした。

参加者も、自治体の国際交流協会や社会福祉協議会やNPO法人の方などで、みなさん仕事として活動していらっしゃるようだったので、「事業を回すためにどうしたらいいか」という視点で聞いていらっしゃるようでした。

わたしの感想としては、登壇者の話の中で「利害で組む」「お願いではなく、ご提案」というのがあり、いつも損得勘定で動くのは違うとは思うけれども、思いやりや善意だけでは持続可能ではないので、誰かと協働していくためにはお互いがwin-winになるような設計が必要だと感じたことでした。



○分科会B6 地域の多文化共生をのぞいてみよう 外国人住民と共に考え・共に創る地域社会


2日目は本丸の多文化共生。
日本で活躍されている外国の方(バングラデシュ人1名、ネパール人2名)のお話で、それぞれが今の活動や仕事をするに至った経緯などのライフストーリーを聞きました。
外国の方視点から話が聞けたのは良かったです。

特に印象に残ったのは、日本にいる同胞に対して日本での生活での困りごとをヒアリングするだけではなく、「私たちが日本に対して教えられることは何か」ということを話しているというのを聞いたことです。

ついついマジョリティの日本人目線になってしまうと、どんな支援・サポートが必要かということに意識が行ってしまいがちだけれども、外国の方がどんなふうに自分のスキルを発揮できるかという視点に立つのはシティズンシップの観点としてもとても重要な考え方だと改めて気付かされました。

この視点は今後の活動でも大事にしていきたいと思っています。


ただ、全体的な感想としては、シンポジウムの時の感覚が裏付けされたような感じです。

多文化共生の分野において議論されていること、共有されていることは、個別の成功事例以外にはいつでもどこでも同じようなことで、新しい情報は無いのだなと感じました。

ブレイクアウトルームで他の参加者と意見交換する時間がありましたが、結局「交流のきっかけに食べ物はとても良いよね」「対話は大事だよね」「やさしい日本語必要だよね」といった表面的で当たり前の話にしかなりませんでした。

どんなふうに地域横断的に協力し合えるのか、これまでの活動の中での失敗からどんなことが学べ、どう他の地域でも応用できるのかなど、そうした具体的に踏み込んだ話題に議論が進められたらよかったなと思いました。

…まあ、批判するのは簡単で、実際に踏み込んだ話題で話す場作りは大変なんですけどね。。



そこまで新しい情報がないということがわかった今、あとやることはインプットではなくアウトプット=活動ということだと認識しました。

しかし、ただのイベント屋になりたいわけではないので、ここ飛騨では、改めて一人一人に寄り添い、ニーズに合わせた活動をしたいと思っています。


2024/01/26

【ラウンジ】1月19日(金)から「にほんごラウンジ」として再開しました:1月26日(金)トークライブを視聴して…


1月19日(金)からまたラウンジ再開しました!

2024年のippoの活動を考えた時に、ラウンジは「にほんご べんきょうかい」と限定せずに、「にほんごラウンジ」として活動することにしました。

外国の方にとっては日本語を練習できる場に、日本人にとっては日本語教育や多文化共生などについてを(あとシティズンシップ教育も盛り込んで)話し合う場にしたいなと思ったからです。

外国の方向けに特別な日本語の指導を行うわけではありませんが、自然な会話の中で、そして仕事以外の場所で、日本語を聞いて話してもらえたらいいなと思います。




琉球大学 教授の名嶋義直さんが書かれた記事を元に、日本語教育と日本語教師の在り方について、シティズンシップ教育の観点から議論されていました。


(日本で働く)日本語教師は、

1. 教師と学習者
2. 日本語母語話者と第二言語学習者
3. (日本社会の中で)日本人であるというマジョリティ側と外国人というマイノリティ側

という関係性の中で、「役割」「言語」「文化」における三重の権力を持ってしまっており、日々そのことに注意しながら学習者と「対等な関係」でいられるように意識しなければならない、という指摘に、なるほど、と納得しました。

ただ、これは大人数クラスの場合に特に顕著になる問題で、個人授業の中ではそこまで「権力!!」というほどにはならないとも感じます。


(2024.1.27追記)
以下で紹介する著書のレビューで次のような指摘がありました。

話し合われている内容は日本国内の日本語教室の話ではないか、海外の日本語学校で働く教師はその社会ではマイノリティ側になるし、教師の良し悪しを評価してそれが教師生命や学校運営に影響を与える点では学習者側も権力を持っているではないか、という指摘です。なるほど、それもうなづける。

いずれにしても、教師側も学習者側も、どちらかがどちらかに一方的に力を及ぼすのではなく、ともに学び合う関係を作りましょう、ということなんじゃなかろうか。
(追記終了)


トークライブを視聴した後、メンバーで少し感想を話し合ったりもしたのですが、わたし自身、日本語教師としてどうありたいか、何を強みとできるか/していけるか、少し考えられたので、良い学びになったと思いました。

名嶋義直さんの著書で読みたい本がたくさん出てきました。
(積ん読ばっかり増えてくなあ…)





来週のテーマはまだ未定ですが、また直前にインスタのストーリーズでお知らせしますので、ぜひチェックしてくださいね!